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20041016
精神科医 斎藤学
優秀な医者なのか、単に目立ちたがりのパフォーマーなのかは知りませんが、タイトルの人のコラムに面白い例えを見つけたので引用します。
生とは荒涼たる現実に過ぎず、そこにあるのは生きることに伴う飢餓と渇えだけなのかも知れない。しかし、この欲求不満が多少でも解消されるとき、私たちはこの「苦痛からの解放」を快楽と認知し、その幻想を追求しながら生き続ける。その幻想を生むプロジェクターが壊れてしまったり、舞台装置のカラクリが暴かれた時には困ったことになる。
幻想のカーテンで覆われているのが私たちの生だとすると、そのカーテンが風にあおられ、外界の荒涼が露わになってしまうこともある。その時、私たちは大あわてでカーテンを押さえようとするし、破ければ、別の幻想を貼り付ける。この「否認」という作業を殆ど自動的(無意識)にやっていられることを指して「健康」というのである。
しかし、「そんなことしてどうなるの」と思ったり、「トカトントン」(39歳で心中した作家・太宰治の短編)が聞こえてしまったりしたらどうなるか。そこに生じるのが失快楽というシラケの感覚で、だからこれこそ、うつ病の本質と言ってよかろう。
カーテンを貼り損ねたあなたに一言。
Welcome to REAL world.
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